「Lemon」と山椒魚

先に聴いたのは「Lemon」だった。

後からアルバムかって「海と山椒魚」を聴いたとき

引っかかった歌詞があった。

 

「みなまで言わないでくれ

俺がそうであるように

あなたが俺を忘れるなら

どれほど淋しいだろう」

 

これはつまり、

忘れてしまえるなら楽になれるかも知れないが

俺があなたを忘れるならきっとあなたは淋しがるだろう

だから、あなたを悲しませないためにあなたを忘れたくない

と言うことなんだろう。

 

それと

 

「どこかであなたが今 私と同じ様な

涙にくれ 淋しさの中にいるなら

わたしのことなどどうか 忘れてください」

 

似てないか?

 

 

そうしてかすかなもやもやを残したまま日々を過ごしていたわけだが

 

ある日突然気付く。

「じいちゃんが死んで」っていうのは

ある意味素晴らしく巧みなミスディレクションだってことに。

 

大体年寄りが死ぬのはそこまで悲しくは無い。

薄情なようだが人間ある程度の年齢になれば、生きていると言うより少しずつ死んでいってると言う方が正しいと思う。

そうして日々諦めと覚悟のゲージを貯めながら生きてると

死んだときに感じるのは悲しさよりもむしろ安堵とかだったりするんだ。

 

ならば本当に悲しいのは何かと考えたときそれは、

じいちゃんの死によって埃を払われた古びた思い出であり、

それこそが「海と山椒魚」だと言うことに。