隠し絵・騙し絵
米津玄師の歌詞を見ていると、
この絵の中に動物が○匹隠れています、的な絵を思い出す。
思いがけないところに思いがけないものが隠れていたり
まさかもう無いだろうと思うとまだまだ有ったり。
今回は「胸の中」だ。
デンジの揉みたい「胸」(てか、その手つきはいいのか?)
デンジの「胸の中」のポチ太
マキマさんの「胸の中」(本当の気持ち)
第一部読み終わってこれに
抱きしめたい、抱きしめられたい
って言うのもあるんだと。
恐るべし米津。
変身
さて、ツアーは無事始まっているようだが、私の骨はまだ繋がっていない。
これじゃ、もし当たっていたとしても行けたかどうか怪しいもんだ、と言う事で綺麗さっぱり諦めた。
むしろ、ツアー?何それそんな物はこの世に存在しませんという事で、新曲の発売だけを楽しみに生きて行く所存でございますのでよろしく。
そんなこんなでひとり、やさぐれつつしょうもない事を考えている。
かつて「自分は闇の中の光を書く」と言ったSF作家が居た。
そして「その光を際立たせる為により深い闇を描く」と。
最近になって、宮崎駿も同じようなことを言っていたと知ったんだが、さてこれは偶然なのか、あの年代にありがちな考え方なのか。
もう一つ、二人が若い頃そんな話をした事がある、という可能性がある。
TVアニメの黎明期、多くの若手SF作家がアニメの脚本を書くのに駆り出された時期があった事を思えば、二人の人生が交錯した可能性は有り得ない事でもないように思う。
まあ、だからどうだって事も無い。
ただそれだけの話。
夏のせい
PCの調子が悪い。
しばらく使っていると画面に紫色のフィルターがかかったようになって、見にくいこと甚しい。
そう言えば前のPCがいかれたのも暑い夏の終わりだった。
この夏は結局ずっとコルセットが外せないまま、
暑いわ窮屈だわ痒いわもう踏んだり蹴ったり叩いたりという惨状。
この上懐まで傷むのか。
しかし、いつ新しいアルバムが出るか分からない今、
新しいMVが出る時に備えて、まともに動くPCが必要だ。
と、自分に言い訳している。