花に嵐のたとえもあるさ

「花に嵐」と「海と山椒魚」は繋がっていると言うことに異論のある人は、まずいないと思う。

まあ、タイトルも井伏鱒二つながりだし。

 

そしてここにもう一つ

「花に嵐」と対をなしているのが「vivi」だというのは

考えすぎだろうか。

 

「花に嵐のたとえもあるさ

さよならだけが人生だ」

 

この歌が「花に嵐」と「vivi」のつながりを示している様な気がするのさ。

 

 

「わたし」が気に入らず突き返した不細工な花と

「vivi」のMVで受け取ってもらえずそっと足下に置かれたあの「不細工な花」は

もしかしたら同じ花だったんじゃ無いだろうか。

 

どこにも行かない、行きたくない「vivi」と

本当は遠くへ行きたい米津。

「(君を置いては)何処へも行かない」といつも言っていたとしても。

 

ならばあの花は

「一緒にこの街を出よう」か「きっと迎えに来るから待っていて」か。

 

それに帰ってくる言葉はきっと「嘘つき」「何処にも行かないって言ったくせに」

 

 

 

そして、「海と山椒魚」には、とても濃い死の匂いが漂う。

「さよならも言えぬまま一つ報せも残さずに去り退いたあなた」は

もしかしたら自ら死を選んだのかと思える。

 

自分を「のろまな山椒魚」だという「俺」は

(そもそも「山椒魚」というのは、自分の愚かさから友達を死なせてしまう話だ)

あの時もっと強引に連れ出していれば、

死なせずにすんだかも知れないと悔やむばかり。