LADY
道路の白い所だけ歩く。
きっと子供の頃誰もがやったと思う。
一人でルールを決めて一人で遊ぶ。線から落ちればそこは海で
サメに食われるとか、ワニが居るとか。あるいはそこは何も無い奈落の底だとか。
誰かに教わった記憶は無いが、誰かの真似してやり始めたんだろうな。
あの白線の上を歩く姿を見ると思い出すLOSER
カートに入っていたり垂直の壁を歩いてみたり、何やらデジャヴに満ちているな。
なのに未だ見慣れ無い米津の顔にジャメヴュ。
ところで片方の靴にだけ白いテープが巻いてある?
何か意味があるのか?
遥かなるジョージア
さて、驚天動地とでも言うべきか、米津の両目がさらされるという事態に、とうとうその日が来たかと何とも言い様の無い気分だ。
一体どう言う心境の変化があったのだろうか。
それまでこだわりのあった事が、ある日気が付いたらなんかもうどうでも良くなってしまう事って言うのも、あったりするからな。
でも、案外コンタクトの所為だったりして。
それまで見えなかった物が見える様になるとなんか前髪が
鬱陶しくなっただけ、なんて単純な理由かもね。
それはさておき、お陰で整形疑惑なんて動画が何本も出てて笑える。
どんなものかと幾つか見てみたが大した事は何も言ってないな。
ただ過去の米津の画像がランダムに流れて来る中に、ちょこちょこ挟まって来る「えのん」の顔に思わず吹いたと言うことは言っておこう。
お祝い
記念日とか誕生日とか、こまめに覚えていてお祝いする人は、すごいなと思う。
自分はなかなか素直にお祝いとか出来ない。
流石に子供が小さい頃は頑張ってたけど最近ではせいぜい食料の差し入れくらいしかしてやってないな。
そもそも誕生日を祝う、と言うのはいつから始まったんだろう。
「生まれる」というは、はたして「めでたい」ものなのか。
考えるほど分からなくなる。
それでも、今日くらいは
「生まれてきてくれてありがとう」
汚れた毛布
汚れた毛布で連想するもの、と言えば自分的には「ライナスの毛布」なんだがどうなんだろう。
自分にとってはとても大切な、何物にも代え難い物だけど、他人から見ればただのガラクタ、ゴミでしか無い物。
逆もまたあり、他人の大切な物でも自分には何の意味も見いだせない事もあるだろう。
価値観の違いと言えばそれまでだけどな。
子供の頃自分の大事にしている物を親に捨てられかけ、慌てて取り返した事のある自分としては、頼むからほっといてくれ、と思う。
あんたが大事にしている物に手を出したりしないから、私の大事な物に構わないでくれ、と。
今気付いた。汚れた毛布じゃないや、「ぼろぼろの毛布」だった。
思い込みは良くないな。
雪は降る
雪が積もるなんて何年ぶりだろう。
そう言えばこの前雪が積もったのはいつたったか、さっぱり思い出せないのは歳のせいか。
朝から電車が止まっているらしい。仕事に行けない娘は近所の友だちと塀に積もった雪で雪だるまを作っている。
お前ら幾つだよ、いい歳して、やってる事は小学生か。
まあ、滅多にない事だからなあ。
自分が中学三年の時にも雪が積もったことがあった。
校庭に積もった雪で小さい雪だるま作って教壇の上に置いておいたら、担任が教室に入ってくるなり雪だるま掴んで窓から投げ捨てて、
「お前ら、こんな浮かれてる場合じゃないだろう、誰がやった!」
と、怒鳴られ仕方無く手を挙げたら教壇の上に正座させられた思い出。
・・・血は争えないって事か?
一年の計は元旦にあり
年末は御節作りに忙殺され気力を使い果たし、正月はひたすらぼんやりしてた。
それでも毎年少しずつ注文が増えているのはありがたい。
ぼんやりするのに飽きて、撮りためた「チェンソーマン」を見る。
途中タバコの銘柄に引っ掛かる。
あの見慣れたパッケージはマイルド7くさいんだが、頭の文字が「M」じゃなくて「W」だったような。
巻き戻して確認。
やっぱり「Wild」でもその後は「Raven」だった。
ワイルド7じや差し障りが有るのかもしれないな。
「ワイルド7」と「マイルド7」は昔からあるネタなんだが。
そう言えばチェンソーマンのMをひっくり返すと
チェンソーワンになる。
だからデンジは犬なのか?
正月からあいも変わらずしょうもない事を考えている。