米津玄師において、水は悲しみを表している場合が多い。
「Lemon」の雨しかり、「海と山椒魚」の海しかり。
そうすると不思議なのは「眼福」だ。
「水のないバスタブ」は悲しみのない場所なのに
外は雨が降っている。
そして曲全体を奇妙な淋しさが覆っているように感じる。
もしかしたら外=現実世界で
「水のないバスタブ」はまだ悲しみを知らない過去=思い出の中なのか?
かなうはずのない「また明日」を知っているからこそ
「あなたの居る未来」が本当はないんだと知っているからこそ、
「あたしはそれで眼福さ」と歌うのだろうか。
窓をつく雨音が結構うるさい今夜
そんなことを思ってみる。